ヒカル

僕は「逃げていい」なんて思わない。 「死ぬくらいなら逃げていいよ」も正しそうでいて、違和感を覚える。

その違和感は、 逃げ場などない、 一刻の猶予もなく追い詰められた人間に対して、 あまりに他人事で突き放した無責任な言い方に聞こえるからだ。

僕が逃げていいと言う時は、 「ここに、僕のところに逃げてくればいい」という意味であり、 僕自身がその責任をとる、という意味でもある。

それを信用するかしないかは死にたい君自身であり、 それは僕とは関係がない。

僕は「死にたい」と僕を頼る人間に対しても、 常に最初から 僕に君たちを救いたい意思はないこと、 ただの興味本位であること、 ただし、決して鼻で嗤ったり、説教したりはしないこと、 でもただ聞いてるだけではなく、僕の意見は意見として言うこと、 を説明した。

それでも人はやってくる。 それほど追い詰められている。

そしてそんな追い詰められる世界を作ったのが 僕たち自身であるという罪悪感が、 テレビやネットで芸能人が適当にしゃべる、 いじめ体験や不幸な生い立ちやきれい事の「逃げていい」 に対して、

激しい反発を引き起こす。

自分のことを手紙でよく「私はいじめっ子だ」と書いていたヒカルは、 実際にはきっと正義感の強い優しい子だったんでは、 と僕は思う。 誰もがそうであるように、思春期の問題は この自分は本当の自分ではない、と思いこむところにあって、

上手くやれればやれるほど、死にたいという欲求が高まるのは 僕自身にも覚えがあった。

ただ、頭のよい子は まだ知らなくてもいいことを、 随分と早い段階で知ってしまう。

知っていることと精神的な未熟さがくい違う。 その引き裂かれた「自分」と「自分」の葛藤が 思春期の重い憂鬱である。

SNSはまだない。 掲示板文化は2chが盛り上がり出した頃。 ジオシティーで「自分のホームページ」を作り、 T-cupでBBSを借りて自分のサイトに設置する。

そういう時代の僕、25歳。 そういう時代のヒカル、14歳。

確かに僕は「氷河期世代」ですが、 今頃になってそんなくくられ方をするとやはり愉快ではない。

僕は多分、その頃の果てしない虚無感と未来のなさを 黎明期のネットに救われた、数多い人間のうちの一人である。

最初はひかるの独白として描こうと思っていたが、 実を言えばひかるは数日うちに逃げて、 その後ちゃんと自分で帰っていったので、 大した話らしい話はしていない。

これもまた中年のジブンガタリになってしまうが、 当時の僕が経験した空気や背景と共に、 その頭の中のディストピアを描いておきたいと思う。

僕の作った駆け込み寺は、人生相談の場所ではない。 僕の純粋な好奇心から発生した、 肯定も否定もないただの場所だ。

僕は空気を読んで「そうだね」とか「つらかったね」などと 言ったりはしない。

「死にたくはない、消えたい。」

これは今でも僕にはピンと来ない。 でもひかるは僕の前で正直に自分を語った。