まいちん

映画館で居眠りする二人の会話

ホラー映画を観る二人の男性。

音楽と欲望についての漫画。

アトリエでの美術部の日常。

1995年、阪神・淡路大震災が起こり地下鉄サリンが起こり、そこからもう何回か季節が変わってすっかり日常を取り戻した頃、

ある平日の2日間の日記を切り取ってみるとこうなる。しかしわたくしはこうした毎日を、2年生から6年生まで意志を持って続けておったわけで、涼宮ハルヒのエンドレスエイトの比ではない。

同じ大学、あるいは別の大学の他の大学生がどんな日常を送っていたのか、わたくしは知らないし、当時は何の興味もなかった。

引きこもりといえば引きこもり、ニートといえばニートとも言える。映画や本、クラシックのCD、絵の具やガソリン代には金を使ったが、それにしたって目が飛び出るような額ではない。村木とデートするにしたって、下宿にいるかガストにいくかくらいで、特に経済的に贅沢な暮らしをしていたわけではないと思う。

スマホもないしネットもないしで、月にかかる固定費は少なかったはずだ。おしゃれもまるで興味がなく、食べ歩きたい店も周辺にはなかった。多分何度も食べた外食は、大学の生協の脇にあったレストラン横丁のオロチョンラーメンだけだ。

わたくしは確かに情緒は不安定で、浮き沈みの激しい人間ではあったが、黙っていればそんなことには誰も気づかない。情緒不安を人に見せたいという素振りは、そう扱って欲しいというアピールだとわたくしは思っている。今はその素振りがいつでも手軽にできるようになったというだけだ。特に弱い人間が増えたわけでもない。元々弱くて何もしたくない人間が、簡単に弱さを見て慰めてもらえるようになっただけだと思っている。

わたくしが今大学生だったら、思う存分盛大にメンヘラアピールをしてかまってもらっていただろう。絵と音楽と詩と芸術に熱中している、貧しくも高潔な未来ある若者として。やってたか。当時もやってたな、そう思うと。計算してなかったとは言え。

以前、同級生とこうした話をしていた時に、「お前が一番大学生らしい大学生活を満喫してた」と言われたことをよく覚えていて。

当時だったら反発しただろうけど、今はそうだなあと思っている。何もしていない暇つぶしの時間はほとんどなかった。ただ単位をとらなかっただけだ。勉強しなかったこと、卒業できなかったことは後悔しているが、一方で「好きなことしかしていない」という数年間は少しも後悔していない。

多分今、こうした回想がわたくしにとって一番必要なことなのだと思う。なのでここ数ヶ月は観念して、この漫画のような生活をしている。どんどん貯蓄が減っていってこれからどうなるんだという心配もあるが、このわずかばかりの貯蓄は、この数ヶ月の危機のために3、40代のわたくしが必死に稼いでおいた余力だったと考えることにしている。

少しづつ、元気になる。描いている、あるいは書いていると水滴のように元気がたまっていく。昔は先輩がアトリエにくれば1秒で回復したこの情緒が、今は時間でしか解決できないことが口惜しい。

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女性がポップコーンを食べる絵。

映画館ももう何年行ってないだろう。最後に観たのがなんだったのか思い出せないくらい行かなくなりました。

今って映画みながらポップコーンとか食べれるんですか?というよりポップコーンなんて売ってんのかな。

大学の頃、すでに「なにかを食べながら映画を観た」という記憶がないので、小学生まで遡らないと映画・ポップコーン・コーラ(ファンタ)の組み合わせは存在しないのかもしれない。

実際のところどうなんですかね。もしポップコーンくらい食べてもいいとしても、周りを気にすれば難しいですよね。私語もスマホも厳禁だろうし。

インドは世界一の映画大国なので、わたくしも名も無い町の映画館などによく行きました。

インド人の映画の楽しみ方は(96年当時ですが)、サモサとかパコラとかポップコーンとか食べ物は必須で、剥いて食べるピーナツは剥いたそばから殻は床に捨て、たいてい3時間以上の長編ばっかなんで途中で休憩があり、明るくなるとゴミ屋敷のような有り様でした。

私語というより、映画のスクリーンに向かって野次るのが基本で、ラブシーンには指笛を吹き、主人公がへたれだとブーイングし、そんな感じで今の日本人が真面目に映画を観る感覚で行ったら「二度と行くか」って思うんじゃないですかね。

僕も一回目はびっくりしましたが、二回目からは余裕で慣れました。その方が楽しいからな。インドも今はどうだか知りません。

まいちんとはよく京都みなみ会館に行きまして、しかし、ポップコーンを食べながらみた記憶はない。レイトショーで朝までコースだと客が2、3人のこともあったんで、それだと好き勝手やった記憶もある。大体客は寝てますがね。

映画は見終わって喫茶店でああだこうだ言うところまでが娯楽ですから、デートでは喧嘩になりそうで絶対に行かず、まいちんみたいなまあどうでもいいっちゃいい友達と行くことがほとんどでした。

そういやまいちんインド人みたいなはっきりした顔だったな。どうみても見た目は女の人でしたけど、不思議とあんまり女性性を感じさせない人ってのはいて、僕はそういう人が好きで、僕もまた男として見られない方が好きでした。

映画「グッドウィルハンティング」紹介。

女性が怒っている漫画のシーン

大勢の人間に対して謝罪しなきゃいけない罪は恐らく犯したことはないものの、

ミクロの世界ではいつも言ってることとやってることがブレブレで絶えず矛盾している自分の罪を感じている。

やっぱり大学一年の時の「阪神大震災」及び「オウム関連」は 忘れられない事件でしてね。 あの頃が一番テレビ見てたんじゃないでしょうか。

上の2件によって1994年は 「現実がフィクションを越えた」と評された(と思う)。

前年の93年に発売された「完全自殺マニュアル」の影響と共に、 1997年のインターネットの一般世帯への普及、 1998年の「日本総うつ病時代」へ向けて 僕たちはどことなく不安と狂気を感じながら、 「人間とは」「心とは」「世界とは」と 自分そして他人という存在の内面へ強い関心を持ち続けることになる。

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