村木

抱えた傷が深すぎてそうなるのか、単に心が弱すぎてそうなるのか、寄り添おうとすればするほどわからなくなる。 今は「両親から受けた傷」や「それによる関係不全」の例があまりにも目に入りすぎ、僕もすっかり麻痺してしまった。少なくともネット上では上手く人に優しくできない。

何も知らない頃が優しかったわけではない。 しかし相手が望むものを与えたい強い本能があった。

だから村木は僕に何も望まなかった。

言えないこといっぱいある。 言えないことばっかりだよ。

だからなんでも反射的に口に出す人は 本当はそんなに好きじゃない。

大学で最初にやった授業なんて1ミリも覚えていないが、 村木が音大に入って最初に与えられた課題曲が、ブラームスのラプソディ2番op79-2だったことは間違いなく覚えている。 その時僕は1番を練習していたからだ。 適当な練習録音が残っている。

ブラームス:2つのラプソディ1番op79-1

自我の弱い男と情緒不安定な女の組み合わせは 僕自身と僕の近くの人間に限り、継続して幸せになった例を見たことがない。

自我が弱いということは、人に頼られることでしか 自身のいる意味を保てないということだ。つまり頼られていないと不安になる。 相手は誰だっていい。 面倒をかけられればかけられるほど悲惨な立場の自分に酔える。 優しさとは最も遠い位置にある脆弱な性格と言える。 他人に影響されやすく、その言動は全てがどことなく嘘くさい。

女はすぐ気づく。 一度気づいたらもう鬱陶しい以外の感情しか湧かない。 あとはきっかけの問題で、 お互い仮面をつけて破局を先送りするか、 女が興味を失うか、いずれにせよそれは恋愛でもなければ 人間関係でもなく、いびつな個と個のなすりつけあいにしかならない。

それがわかるのは全てが壊れた後で、 壊れた後もなお執着し、トラウマという言葉で自分を物語化する。 理解や共生とは無縁である。

僕の話だ。 これが学生時代ではなく、 自分という人間がある程度確立した後だったら立ち直れなかっただろう。

一つだけ男が幸せになった例を見たことがある。 女が死んだ場合だ。 彼は今もなお、物語の中で立ち直れなかった自分を正当化し、生きている。 永久に立ち直らなくていい理由を見つけて、 幸せな絶望に酔いながら。