奥崎

中学生や高校生の頃、 初めてふられたり一方的に別れを切り出された時は この世の終わりみたいな気分になった。

なんとか元の楽しい二人に戻る方法はないものか。

ない。ないと思わないとだめなのだ。 万が一またつきあえたとしても長くは持たない。

自分のことを一番冷静に客観的に見てるのは 自分ではない。

その君が「私の目の前から消えろ」と言っている。 言葉はもっとオブラートにくるまれているが、 言いたいことはそういうことだ。

わざわざ相手がはっきり嫌いと言うまで嫌われたのなら もう何も残ってない。

できることはない。 一人で苦しむ以外のことをやれば 誰からも信用されなくなるだけだ。

マキタもそうだったけど、 同級生とはどうしても上手くいかなかった。

だから同級生同士でつきあってる友人を見ると 羨ましかった。

なんとなく後輩と仲良くなることが多かったけれど、 それは僕自身年上ぶってものわかりのいいフリをしてるからで 素の自分ではつきあってもらえないんではないかと いつも不安だったから。

同級生の遠慮のない距離感って 男同士だと楽なんだけど 男女だとどうも怖くってさ。

僕はよほどのことがない限り本音を話したりしない。 本音っぽく見えるような嘘を話していただけにすぎない。

高校まではそれでもやってこれた。

人と深くつきあうようになると どうしてもそれではやっていけなくなる。

僕は同じところに立ち止まったまま、 隣にいる人が大人になってゆく。

1997年。携帯電話は持ってる人と持ってない人が半々程度だった頃。僕はさんざん放浪ばかりしてたから心配した両親に持たされ、奥崎は持っていなかった。そんな頃。

奥崎は他大学美術部との親交会で知り合った。少し話すようになると、僕は自分の大学をほったらかして奥崎の大学に遊びに行くようになる。(なんだかいつもそう)

住所だけは絶対教えてくれなかった。手紙はR大学まで行っては本人に渡した。妹もR大学だったため、「妹の様子を見に」なんて言い訳をした。

何度かの手紙のあと、住所が書かれていた。僕は夜中にも関わらず奥崎の下宿まで押しかけていった。

それだけのことだ。それだけのことだけれど、それが青春でなくてなんだろう。

続きはこちら →

毎週京都から島根まで国道9号線をえんえんと走ったのも 遠い昔となり、何もかも忘れてしまいましたが、

ふと米子から松江へ向かう辺りで 「ごだっしゃい」と書いた看板があったことを思い出しました。

きっと「いらっしゃい」みたいな意味なんだろうとは思いつつ、 それが鳥取の言葉なのか島根の言葉なのか、 奥崎に聞こうと思って結局聞かずじまいだったな、なんて どうでもいい小さなことばかり憶えています。