シリーズ:ヌード

東京の木場にある東京都現代美術館が開館した1995年、 国内初として開かれた鉄の彫刻家、アンソニー・カロの大規模展に 京都から車ででかけた。

3日かけていろんな美術館に寄り道しながら下道を走っていった。

東京都現代美術館は最初の頃はウォーホル展とか いい現代美術展をやってたんだけど、 金がかかりすぎるのと現代美術では客が来ないこともあって 次第に傾いていった感がある。

でもこの開館記念のアンソニー・カロ展はとてもよかった。 それまで名前も聞いたことなかったけど、 面白い形の鉄のオブジェがたくさん並んでる様子は、 現代美術にありがちな冷たい感じじゃなくて どことなく温かみがあった。

美術館や図書館や映画館は 人がいなければいないほどいい。

仮に入館料を1000円から1万円にすればやっていけるのなら それによって閑散とした美術館に僕は喜んで行くだろう。

リンク:エル・グレコ 受胎告知

倉敷の大原美術館にある一枚。 学生の頃何度もでかけて何度も観た。

こういう宗教画って我々日本人には理解しずらいテーマの一つで、 そもそも「受胎告知」だって意外と知られていないんでは、と思う。

源氏物語絵巻だって源氏物語の内容を知らなかったら 何の絵だかさっぱりわからない。キリスト教の話ならなおさらだ。

そういう絵画の背景を知ってから観るとまた別の見方ができる、 それが面白いという考え方もあるし、 そんなもんいらん、顔がかわいい、ダイナミックでなんだか好き、 そんな感じでも全然いいと思う。

ただ自分にわかるものだけが素晴らしいものなんて考え方は退屈で、 結局すぐ飽きて何も残らない、 だから無駄という結論になってしまうのでは。 恋愛もきっとそうだろう。

よくわからなくて不安だから面白いんだけどな。

ああ説教くさい。やめよう。

サハラ砂漠にあるタッシリ・ナジェールには古代の人類の残した岩絵が多数存在する。 アフリカにはエジプトに行ったきり他の地域には行ったことがない。 死ぬまでに一度は実物を見てみたい。

「セファールの白い巨人」はセファール地区に残された約1万年前の岩絵。 1万年前!

古代の人類が描いたとは思えない。 牛や人間の営みを描いた壁画もあるが、いずれも写実的で キリン、ライオン、牛、ラクダ、みな現代人が見てもすぐわかる。

リンク:サハラ岩壁画パノラマ写真

不思議なことに他の民族がやってきて異文化交流が行われると、 絵が段々下手になって廃れたりしたようだ。

もちろん芸術なんて概念は当時にはなかっただろうけど、 絵が得意な民族、興味ない民族とかに分かれていたんだろうか。 大して今と変わらない気もする。

ツノみたいに見える突起物とか肘のあたりの出っ張りは なんなんだろうね。神様の霊媒となるシャーマンが身につけてた神具だろうか。

疑問ばかりわいてきて眠れなくなる。 興奮もするが不安にもなる。

人間てなんなんだろう。

リンク:【美術解説】エルンスト・キルヒナー「ドイツ表現主義運動「ブリュッケ」の設立者」

エルンスト・キルヒナーはムンクやマティスの流れを組んで 既存の価値観を破壊し、新しい芸術の流れを作ろうとした20世紀ドイツ表現主義の前衛画家。

ナチス・ドイツによって「退廃芸術」の烙印を押され、 その数年後、ピストルにてスイス・ダボスで自決。 こないだ経済会議をやってたそのダボス。


僕はマティスはよくわからなかったが、 ムンクやキルヒナーは好きだった。 単に暗いのが好きだっただけ。 暗く憂鬱な現実だけが真実で、 幸せで豊かで何もかもうまくいく世界はご都合主義の妄想だと思っていた。

今はもちろんそうではない。 でもそんなものは卑屈な青年の独りよがりだとは嗤えない。

今も大人や大人的なものの考え方を嫌う何かは僕の中にくすぶっている。 ただ、もうそれを誰かに理解し共感してもらいたいとは思っていない。

「イヴ・タンギー」で画像検索

イヴ・タンギー(1900-1955)はフランスの画家。 正規の美術教育を受けたことはなく20代前半から独学で描き始め、 ダリ、キリコらシュールレアリズム運動の画家として 「無意識」の世界を描き続けた。


僕は高校生になって初めて美術部に入り、絵を描き始めた。 理由は単純で、このサイトに頻繁に登場するマキタを描きたかったからだ。 それまではもっぱら観る専門で、自分で絵を描こうなんて思ったことはなかった。

その思春期の恋愛はさておき、観る方はシュールレアリズムに興味があった。 16、7歳と言えば無意識とか潜在意識とかイドとか、 ユング的な精神世界のありように関心を持つ季節だろう。

小学生の頃好きだった小説に筒井康隆の七瀬シリーズがある。 主人公のエスパー・七瀬は相手の思考を覗くことができる。 その中に芸術家の頭の中を覗く回があって、 その世界は意味のないガラクタがどこまでも続く荒廃した風景だった。

初めてタンギーの絵を見た時、その小説を思い出した。 無意識のガラクタだけが静かに広がっている世界だ。

タンギーはダリほどの知名度はない。 知る人ぞ知るというほどマイナーな作家でもない。 ダリの世界はわかりやすい。無意識ではなく自意識の世界だ。 タンギーの絵は何が描いてあるのかよくわからない。 でもなんだか懐かしいような虚しいような感じがする。そこが好きだった。

小説ではガラクタのちらばった画家の頭の中に、 突然ピンク色の官能的な形が生まれ始める。 それは主人公の魅力的な女性・七瀬を観た時に画家に生まれた エロス(要は欲情)であり、僕はそのあたりの表現を 実に気持ち悪いと思った。

僕はエロ的なものが好きでない。 多分七瀬シリーズに登場する男たちが常に上辺では紳士的な顔をしながら 頭の中ではあらゆる卑猥な妄想で七瀬を犯そうとする、 あのリアルな描写が本当に気持ち悪かったからだろう。