連作:トオイヒビ

記憶に薄ついてどうしても忘れられない小さな美しい景色を、自分が老いてしまう前に描き留めておきたくて。

女性がソファでリラックスしている。

どう気をつけても絵なんか描いてたら汚れる。特に大きな油絵なんか描いてると、油だから一回ついたらとれない。まっしろなワンピースで油絵なんて描く人はいない。

先輩もいつも汚いパーカーとジーンズでアトリエにいた。

僕たちはいつも汚かった。あんまり気にもしていなかった。

だから一層、先輩自身がきれいに見えた。

椅子に寄りかかる少女の絵。

女の子がぬいぐるみと座る。

昨日より更に精度をあげて(細かくして)描いてみました。

やりすぎるとあるポイントで急に絵としてだめになるんですよね。それがどこなのか、自分ではわからないのが難しいところです。

ショートヘアのキャラクターが横たわる。

絵です。それ以上でも以下でもなく。

昨日、今日と一番自分が描きやすい描き方に戻してみると、当然ですがしっくりはくる。この絵がいいのかどうかは自分で決めることではないので、描いてしまったのものはもう諦めるほかない。今風のかわいい女の子のイラストを描こうとだいぶ努力はしてみたと思うんですが、やっぱなんかコレジャナイって思われちゃうんですよね。

学生時代も含めて、絵を褒められたことほぼない。もちろんそれが実力と言ってしまえばそうなんですが、「褒められたい」気持ちが薄すぎたのも理由の一つだったと今は思っています。

二人が抱き合うイラスト。

趣味と手癖で描くと大体こうなる。

趣味と手癖で描いた絵とは、要するに好き勝手に描いた絵ということだ。じゃあいつも描いてるのは違うのかというと、うん、違う。2割くらいは絵でどう見ている人とコミュニケーションをとろうかということを考えている。これでも。

わたくしはムンクに強い精神的影響を受けておりますから、基本的なテーマが生死と不安、憂鬱だったりします。思春期的なテーマですが、今でもそれが一番好きです。

見る人を不安な気持ちにさせる(不安だけだとは思いたくないが)絵を、大喜びで描いているというのも不思議な話ですが、これはまあ、高校大学の頃もそうでしたし、わたくしの個性なんだろうと思います。

これも見る人には全く関係ないことですが、今こうして絵を描くのが楽しいのは、写真やモデルを使って「上手な絵」を描こうとしなくなったからでね。やっぱり学生の頃は、まず「いい写真を得る」がスタートだった。だからいい雰囲気の人が必要だったし、いい雰囲気の人と仲良くなることも必要だった。

だからこう、絵じゃなくて人を求めていたんだと思う。

今はそうじゃない。ようやく写真やモデルから開放されて、頭の中にあるものだけで表現しようと思えるようになった。うまくなったからではなく、うまくなる必要を感じなくなったためだ。ずいぶん遠回りしてしまった。

1