例えば「死にたい」と書きたい時があり、 死にたいとそのまま書いた時、 僕は嘘を書いている、 本当は「すべて自分の都合のいい世界になれば生きてやってもいい」 という裏がありそれが本音だがあまりに自分勝手で言えない。 ので死にたいと書くのだ、とよく思いました。
そしてそんな自分にがっかりし、 別の言い方はないものかと探しているうちに 先輩と詩に出会ったのでした。
SNSで死にたいという言葉がNGになっていったのは、 「死にたい」という言葉を目にした別の人間を 実際の死ぬ行動に駆り立ててしまう統計があるからだ、という説明があります。 練炭自殺が流行した季節くらいからですね。
ただそれで「死にたいって書くの禁止」はなんとなく納得がいきませんでした。 今もいっていません。 死にたい人間は、他人に配慮する余裕などないから死にたいのです。 「ああ私の言葉で誰かが死ぬかもしれない」 そんな余裕があるなら死んでる場合じゃない。
過去何度も何度も引用してきた、 「死にたいと書くことで死なないで済むのなら 詩はクスリみたいな役に立つ」 という詩は、死にたいと書くことで気が晴れるのではなく、 そう書くことで本当は死にたくない自分に 自分自身で気づく効果を指していると僕は解釈しています。
ルールや責任はある程度の人間が集まれば必要です。 でも僕にとって、 ルールや責任の所在を決定しなければならなくなった時点で もうそのコミュニティには興味がなくなるのが常でした。
だからいつも単独行動。 それを「孤独」なんて甘い言葉で表現しようと思ったことはないです。 ただのわがままですからね。
ああ、死にたいと書いても その影響で誰かが死ぬかもしれないという可能性を 考慮しなくていい世界がよい。
そんなものはないのでサイトで思う存分死にたいと書き いつもそんな自分にげんなりしています。
