「『自分』は探すのではなく飽きるのだ。」2020 .05.21ハセガワは村木が去ってもピアノを弾き続け、オズ先輩がアトリエを去っても絵を描き続けた。奥崎が「死にて」と言うハセガワに「死んでみて」と挑発する。しかしハセガワは結局死なず、「自分」などどうってことないのだと達観する。 思春期が高齢化しているのは、「僕」「私」という物語を、自分自身で飽きて捨てる必要がなくなっているからではないかと思うのだ。自我はその幻想の物語に飽き果てた時点からスタートするのだから。