僕は「逃げていい」なんて思わない。 「死ぬくらいなら逃げていいよ」も正しそうでいて、違和感を覚える。

その違和感は、 逃げ場などない、 一刻の猶予もなく追い詰められた人間に対して、 あまりに他人事で突き放した無責任な言い方に聞こえるからだ。

僕が逃げていいと言う時は、 「ここに、僕のところに逃げてくればいい」という意味であり、 僕自身がその責任をとる、という意味でもある。

それを信用するかしないかは死にたい君自身であり、 それは僕とは関係がない。

僕は「死にたい」と僕を頼る人間に対しても、 常に最初から 僕に君たちを救いたい意思はないこと、 ただの興味本位であること、 ただし、決して鼻で嗤ったり、説教したりはしないこと、 でもただ聞いてるだけではなく、僕の意見は意見として言うこと、 を説明した。

それでも人はやってくる。 それほど追い詰められている。

そしてそんな追い詰められる世界を作ったのが 僕たち自身であるという罪悪感が、 テレビやネットで芸能人が適当にしゃべる、 いじめ体験や不幸な生い立ちやきれい事の「逃げていい」 に対して、

激しい反発を引き起こす。